情なる笑い

落語の笑い

「落語の笑いは、情なる笑いなのです。」
と言ったのは、私が大学生の頃に所属していた”日本語研究会”の先生でした。

いわゆる”ギャグ”は、知らないと笑えないもので、
「あぁ、今そういうのが流行ってるの?」
と返す他にやりようがない、ということが、しばしばあります。

落語の笑いはそれらとは違い、情から起こる笑いである。
「あの噺家の、あの節の、あの表現がたまらない。何度見ても面白い。」
心が笑うのよ、と先生は言いました。

「何度見ても面白い」

これは、私の中に強く根付く価値観の一つになりました。

ジョアン・ミロさんの絵

大学三年の秋、初めての一人旅、初めての海外旅行に行きました。
行き先はバルセロナ。
目的は、ミロの絵を見に行くことでした。

ミロだけでなく、ピカソ、ダリ、ガウディなど、
大好きな芸術家たちの生きた街を歩いてみたい!
と思い立った旅行でした。

滞在した7日間は、芸術にまみれた7日間。

英語もろくに出来なかった私は、
(よく初海外一人旅でスペインを選んだな、と最近思います)
絵画のタイトルすら読めなかったので、頭の中で繰り返した言葉が、
「情なる笑い」でした。

ジョアン・ミロの美術館で見た絵には、
何かを黒で塗り潰した跡がありました。
間違い、というか、迷いなのかな、と感じました。
その絵を描いたのが、ジョアン・ミロさんが45歳のときであったと知り、
画家の生き方と時代的、文化的背景に思いを巡らせました。

数多の絵画の前に立ち続け、
それらの隅々まで理解する必要は無いんだと感じました。
見る人の持つものと併せて楽しんで良いんだな、と理解し始めたときに、
何時間でも、何度でも楽しめる芸術とは、こういうことなんだ!と腑に落ちました。

子どもの笑い

メリーランドで子どもたちの姿を見ていて、
心底、楽しい!と感じています。

「せんせい、つかれた!」
「疲れたなんて、大人の言葉!」
「あ、ちがった!おなかへったんだ!」

「反対の言葉を言いましょう」
「高い」
「ひくい!」
「太い」
「ほそい!」
「辛い」
「おいしい!」

溢れる人間味、情なる面白さ。
子どもらしさ、と表すことも出来るかも知れません。
何時間でも、何度でも、いくらでも、一緒にいたいと思います。

こういう魅力を潰されずに、育って欲しい。
豊かに笑う人間であって欲しい。

そう考えながら、日々の授業に立っています!

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